今井義博の父親学

今井義博の父親としての哲学を、実話に基づいて紹介。

今井義博の父親学 イジメ問題への取り組み ②

『イジメ』に対する3種類の判断の独立性と共通性

<①までのあらすじ>
 今井家の朝は、午前6時に家族全員がテーブルにつき、全員で「いただきまーす。」から始まる。家族構成は妻一人、子供4人(長女14歳、長男11歳、次女7歳、次男4歳、長男と次女は同じ小学校に通っている)。ある朝、小学校1年生の次女Sが学校で一部の生徒から「オシリ」と呼ばれ、嫌な思いをしていることが発覚した。

 私が盲目的(溺愛的)な娘思い?の父親として判断するなら、直ちに学校に電話を入れ、「うちの娘がオシリと呼ばれて嫌がっているからやめさせてください」と言うだろう。
 しかし、私は本当にSがその子に嫌なことをしてないか、相手に嫌なことをして報復されたのではないのか、という疑いの余地は残しているし、相手に全て非があると言う判断はこの段階では危険であることを知っている。しかし、解決のプロセスの中で、事実は解明されていくことになるのである。予定通りに、などとはとても言えないが・・・。

 当然、今井家(親として)の『教育の定義』のひとつに「人に嘘はつかない」こともあるが、だからと言って子供がそれを守ってくれているなどと思い込むほど親ばかではない。そもそも、定義や規則は守りにくいことがうたわれているものである。
親に隠れて悪事を働いたことの無い子供時代を過ごした人間なんて存在しないであろう、たぶん。

 さて、この限られた情報の中で、“オシリ”と呼ばれているSに読者なら何を助言するのだろう。
 この思考プロセスは正に経営現場そのものである。日々の観察、現象(問題)の発見(顕在化)、正確な情報の把握、入手した情報の質・・・。ここで、前回でSと交わした会話をもう一度紹介しておこう。

 私は朝の食卓でいつものように話し掛ける。
 「S、学校は楽しいかい?」
 「うん、楽しいよ!」と、いつもと同じ答えが返ってくることが当たり前だと思っていた。しかし、
 「うーん?楽しいよ・・・」
これが、子供からの黄色信号のメッセージである。声の質が違う。
 「何か嫌なことでもあったの?」
 「うーん、私のことをね、“オシリ”って呼ぶ子がいるの。」
 「Sは“オシリ”って言われた子に嫌なことをしたの?」
 「してない」
 「本当に?」
 「してない」
 「“オシリ”と呼ばれて嫌なの?」
 「嫌だ」

 この会話の意図は、父親として
 第一に、朝食の20分間を使って子供に何か問題が発生していないかを知る。
 第二に、定期的に同じ事を聞くことによって、その答えの変化をつかむ。(緊張感を持って聞く)
 第三に、問題になっている事実と原因を客観的に把握する。
 第四に、今井家の教育の定義に照合する。

 ここまでは、実は経営者の定義と共通している。言い換えると次のようになる。
 朝の診療(営業)開始前のミーティングの意図は、経営者(院長)として
 第一に、朝礼でスタッフに対し、問題が発生していないかを確認する。
 第二に、日常的に必要とされる確認と、起きた問題と予測される問題を確認する。
 第三に、日常的な確認によって顕在化された問題、起きた問題、起こるであろう問題を把握する。
 第四に、医院の診療(営業)定義と照合する。
 しかしながら、次のステップでは父親としての判断と経営者としての判断に決定的な違いがある。

 それは「自己解決」である。

 私は父親として嫌なことをされている娘に「自己解決」を要求する。つまり、問題が起きた時、まず自分自身で解決する能力を高めるために、自分で解決すべく行動を提案し実行させるのである。先ずは他に頼る前に自分で解決させる教育である。子供にとっては残酷かもしれないが・・・。

 しかし、経営者の一人としての判断は異なる。もし一人のスタッフが「院内のイジメ」または「コミュニケーション・ギャップ」に直面していたとしたら、「自己解決」を要求している時間などない。それは人事的な問題であり人事問題は経営に直結するからである。放置しておけば患者に悪影響を及ぼす可能性があるからである。迅速に当事者と関係者から事情を聴取し1秒でも早く問題を解決しなければならない。
 解決後には、当事者と関係者に自己解決の方法を教育することを忘れてはならない。つまり、問題が起きる前の予防策である。これは、父親の判断と共通する。

 Sとの会話に戻そう。
 本人がオシリと呼ばれることが「嫌だ」ということは確認できた。次は、自分に嫌なことをする相手に毅然とした態度で対応させることである。その“勇気”をもつことが自己解決の初めの一歩である。

「自分がオシリと呼ばれて嫌なら、オシリと言う人に『嫌だからオシリと言うのはやめて』と言いなさい。」
「でもその子は3年生なの・・・。」(Sは1年生である)
「3年生だから言われてもいいの?」
「嫌だ。」
「だったら、嫌だ、とはっきり言いなさい。」
「わかった・・・。」
「頑張れな!」

 新1年生の子供が、3年生にものを言うのは難しいことは分かっている。しかし、自分に誰もが疑わない“正義”があるのであれば、年上だろうと年下だろうと今井家の定義である「人の嫌がることをしない、自分がされて嫌なことは人にしない、嫌がることをされた人がいれば助ける」に則り、人の嫌がることをする人とは戦わなければならない。自分の正義を守るために、そして、人を助けるために。

 余談だか、自分の行っている悪行を地位や立場を利用して弱者に押し付ける輩とは、私は徹底的に戦うという哲学を持っているし、今までもそうしている。それはビジネスマンとして、親として、教育者として、そして男として共通している定義である。それは法律的にはもちろんのこと、「自分の行動は子供に胸をはれるか。」という、いたって簡単な判断基準(定義)で成立している。

 一方で、私が戦う相手は本当に悪であるか、自分が悪ではないのか、本当に自分が正しいのか、ということを明確にするために、私は、あらゆる角度(司法的判断と道徳的判断など)から徹底的に自分と事実を調査することを忘れない。

 私は懐疑主義者である。

 私の経験則で言わせてもらえば、
 “強い者は自分の弱さを熟知しているが、たいていの弱者は自分の弱さを知らない”
のである。

 そして、翌日、朝の食卓の会話。
 「S、オシリって言う子に“嫌だからやめて”って言ったの?」
 「うん言ったよ。」
 「そうかー、頑張ったな。」
 「うん。」

 だがその翌日の朝、状況は変化する。
 「S、オシリって言われてないよね。」
 「言われた・・・。」
 「えっ、それで言われた時“嫌だ”って言ったの?」
 「言った・・・」
 「そうか、それでもまだ言うのかー・・・。明日もう一度頑張って“嫌だからやめて”と言いな。」
 「わかった・・・。」
 こうして、Sは3回目の“嫌だ”と言いなさいを私から指示された。さすがに表情は暗い。

 一度は解決したかのように観えたことが、再度問題になることなんて珍しいことではない。しかし、この問題に対する次の対処方法と準備も、最悪のシュミレーションも終わっているから、私がうろたえることはない。相手は少なくとも知能犯的犯罪者ではないのだから。
 しかし一方で子供はある時とんでもなく残酷な行動にでることもあるので甘く見てはいけない。準備を怠ってはいけない。私自身のイジメられた経験からも“徒党を組んだ時”のイジメは実に残酷である。

 世に言う『イジメ』が我が子に起きた時、親としてどうするべきかも決めてあるし、我が子がイジメる側にまわった時の対処方法も決めてある。もちろん、イジメる側にならないような予防策を朝の食卓を通じて行っているが、子供は子供社会(親の知らない社会)で過ごしている時間のほうが長いことを前提に考えれば何が起きるかわからないのである。
 少なくとも私は、自分が子供に教育してきたことが子供に確実に伝わり、子供が実現していると思うほど自信家ではない。

 「うちの子に限って」などと事前にも事後にも思うこともない。
 もちろん、子供を信じたい気持は親として当たり前に持っているが、信じる前に親として信じることのできる子供に教育しているかが親の役割であり、責任でもあると思うのである。
(私は、国や学校や教師に責任を求めるつもりは全くない。)

 いまどきの子供は、とか、いまどきの若者は、などと言う言葉をよく耳にするが、私に言わせれば、いまどきの子供や若者を理解できない、理解しようとする努力をしない人間のほうがよっぽど質が悪い。
自分を常に正当化し、うまくいかない原因を絶えず他に求める人間にはなりたくないものである。
 ちなみに私は、経済的に自立できる年齢までは、我が子が行った悪行の80%は親の教育責任であると認識している。

 ここで、前述した最悪のシュミレーションに少しふれておこう。

  • 自己解決のプロセスで相手と喧嘩が発生。
  • 相手だけが怪我を負う。
  • 相手の親が学校に訴える。
  • 学校側が事情を把握できないままSを一方的に悪者と断定する。
  • Sは登校拒否になる・・・

 ありがちな話ではある。要するにこうなった時にどうすればよいかの準備も含めてこの問題に対処することが親としての責任であろうと思うのである。こうなることがシュミレーションされているからこそ予防策が立てられる。

 その重要な責任の一つが「事実を5W1Hに則り記録にしておくこと」であるが、これがなかなか難しい。希望的な観測の範囲での解決イメージが先行すると、「事実を記録する=証拠を残す」作業を怠るからである。子供の世界でも大人の世界でも「言った」「言わない」の争いは必ず発生し、発生した時に「貴方は○月○日○時○分、○○と言いました。」と毅然とした態度で言える側の方が司法の場では圧倒的に有利になるのである。

 さて、上級生である3年生に3回も「嫌だからオシリと呼ばないで」と言ったSであるが、相手の態度は変わらない。さて読者の愛娘がこの状況にあったら、これからどうするのか?

 思わぬ展開が今井家に起こるのである。
 

著者プロフィール 医科歯科開業、物件に関するご相談はこちら TEL 03-3833-3950 eMail info@keystation.com

今井 義博の写真

株式会社キーステーション 統括プロデューサー 今井 義博

経 歴

  • 1961年、東京生まれ
  • 暁星学園小中学校卒業(暁星歯学会・事務局長)
  • 早稲田実業学校高等部卒業(早稲田実業学校校友会・代議員、サッカー部OB会・副会長)
  • 早稲田大学専門学校建築設計課卒業・現早稲田大学芸術学校(稲門建築会会員)
  • (株)銀座コージーコーナー(店舗開発設計室)
  • (株)清水建設(OAセンターCAD開発)
  • (株)デンタルリサーチ社(職業紹介事業・東京都第1号)
  • Tokyo Expert Network of Japan(J-TEN)代表
  • (株)キーステーション(統括プロデューサー)
  • ニュー・マーケティング協会会員
  • 詳細プロフィールはこちら >>

著 書

  • 医療人事戦略(クインテッセンス出版)
  • リニューアル&ニューオープン(クインテッセンス出版)
  • 歯科医院経営近未来学(クインテッセンス出版)
  • 挑戦する医院経営(じほう社)
  • 医院経営と空間デザイン(Health Sciences Vol.24No1 2008日本健康科学学会誌掲載)